福岡物語り
福岡物語りシリーズでは、福岡(博多)の古代から近代にかけて、それぞれの時代ごとに特集(シリーズ~8)してご紹介をしてきました。
今回で最終回、総まとめ編として時代の流れに沿い一括ご紹介♪
☆遺跡と稲作の伝来
福岡市内には、旧石器時代、縄文・弥生時代の遺跡が数多く存在します。
特に博多区内には、諸岡遺跡(紀元前)、水耕稲作の伝来で日本最古の二重環濠といわれる板付遺跡、那珂遺跡があります(紀元前4世紀ころの大規模な集落跡)。
「参考」
(福岡県の指定文化財:史跡数)
・国指定文化財 87 ・県指定文化財 74 ・市町村指定文化財 217 計378
(出典):福岡県ホームページ、福岡県指定文化財目録(平成27年5月1日現在)、国・県指定文化財、有形文化財より引用

諸岡遺跡
写真:福岡市の文化財、文化情報検索、諸岡遺跡より引用
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/76

板付遺跡
写真:福岡市の文化財、文化情報検索、板付遺跡より引用
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/430
☆金印と奴国

金印
写真:福岡市博物館ホームページ、アーカイブス、発掘が語る福岡の歴史、金印より引用
http://museum.city.fukuoka.jp/gold/
1784年に志賀島で農民により偶然に発見された「金印」には、「漢委奴国王」と刻まれています。
「後漢書」(中国の歴史書)によれば、西暦57年に朝賀した折に印を綬する旨、記載されています。
「奴国」といえば那珂川流域から博多湾周辺にかけて国をなしていた「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国7万戸、投馬国5万戸に次ぐ2万余戸の大国とされていました(現在の福岡方面の古代の呼び名)。
☆古墳時代

鴻臚館跡
写真:福岡市の文化財、文化情報検索、鴻臚館跡より引用
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/61
九州は520年代、大和政権下に置かれることになります。
「那津官家(なのつのみやけ)」が536年に政治・外交の拠点として、博多区の比恵遺跡に置かれ、これが後の「大宰府」となっていきます。その後、遣隋使、遣唐使の派遣、外国からの賓客をもてなす「鴻臚館(こうろかん)」の前身「筑紫館(つくしのむろづみ)」が現在の舞鶴公園の平和台に設けられました。
「参考」
(日本の古墳数)
日本の古墳(現存と消滅合算)は、約16万基あるようです。
最大が「大仙陵古墳(仁徳天王陵)、大阪府堺市」です。(墳丘長486m)。また全長200m超の古墳の分布は、ほとんどが大阪・奈良の2府県に集中しています。
ちなみに古墳数全国1位が兵庫県(18,841)
福岡県は第7位(10,776)となっています。
(出典):「文化庁」(平成24年度周知の埋蔵文化財包蔵地数)より引用
☆博多商人と平安、鎌倉時代、元寇の役
平安時代には、宗との貿易のため、「袖の湊(そでのみなと)」が博多大津に築かれ、宗からの商人が多く訪れるようになり、博多商人が登場することになります。
この頃ユーラシア大陸で勢力を振るっていた、蒙古(元)帝国が日本にも数回使者を送ってきましたが、時の執権・北条氏は服従せず、かつ使者を黙殺したことにより、元軍が1274年10月に対馬、壱岐を経て博多湾に侵攻してきました。
元寇の役は兵3~4万人、兵船900隻といわれています(玄界灘特有の雨を伴う台風にて元軍は大損害を受けました)。
鎌倉幕府は、この後1276年から約半年をかけ、元寇防塁(石積み)を築き、防戦態勢をしいています。
元軍は、1281年に再び博多湾に侵攻しますが、日本軍の猛攻と原因不明の疫病により撤退。またもや台風に遭遇して壊滅的な損害を受けました「この時の台風が(神風)の語源になったとも言われています」。

元寇資料館
写真:福岡市の文化財、文化情報検索、元寇資料館より引用
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/78

元寇防塁跡
写真:福岡市ホームページ、福岡の力、歴史散歩より引用
http://www.city.fukuoka.lg.jp/promo/magazine/sanpo.html
☆室町時代・戦乱の博多
室町時代にはいると、当時の中国・明(みん)国との貿易がさかんとなり、当時大内氏の勢力下にあった博多は、対明貿易の中心地となって発展を遂げていきます。
しかしながら1467年・応仁の乱が勃発すると、戦火の余波が博多にまで及び、博多の街は焼け野原となりました。
☆豊臣秀吉と博多

山笠
博多の町は焼け野原となって衰退しますが、1587年に九州を平定した豊臣秀吉が博多の町を再興。「太閤町割(たいこうまちわり)」と呼ばれる都市計画を実施して、現在の博多の原型を作りました。さらに博多を自由都市「楽市」に指定し、堺と並ぶ商都として発展していきます。
この「太閤町割」が後の、山笠の「流れ」へとつながります。
☆関が原の合戦・黒田氏と福岡

福岡城
写真:福岡市の文化財、文化情報検索、福岡城跡より引用
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/62
1600年の関ヶ原の戦いで功績を残した黒田如水・長政親子が、筑前52万石の当主として博多に入国。
黒田氏は備前(岡山県)邑久郡福岡の出身だったことから、城の名を福岡城(別名:舞鶴城)としました。城下町・福岡の誕生であり、これ以降、那珂川から東は「博多」、西は「福岡」と呼ばれるようになります。商人の町・博多は伝統工芸や芸どころとして、城下町・福岡は武士の文化を伝える町として、福岡は双子都市として発展を続けていくことになります。
☆福岡市と博多、市内電車の開通
明治22年(1889年)、市制が施行され福岡市が誕生しました。
翌23年の市議会において、「市名変更(博多市とする)」の建議が提案 されますが、議員票が同数だったため議長の票の1票差で否決され、 当時の国鉄の駅が「博多駅」となることで政治的な決着がなされたという エピソードもあるようです。
博多駅が開業したとき、初代の駅舎は現在の出来町公園(博多区博多駅前1丁目)あたりから大博通りにかかるような位置に駅舎があったようです。出来町公園には「九州鉄道発祥の地」という記念碑が建っています。
明治43年(1910年)には、九州で初めての市内電車の福博電車が医大前から西公園間、呉服町から博多駅間で開通しました。

大正時代の二代目博多駅
写真:福岡市博物館ホームページ、福博写真館より引用
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/324/index.html

市内電車(大正期)福岡天神町交差点(提供:地図の資料館)
写真:福岡市ホームページ、都市景観室、風景の歴史アーカイブより引用
http://www.city.fukuoka.lg.jp/jutaku-toshi/toshikeikan/information_keikan/archive/enjoy_tenjin02.html
☆九州鉄道開通そして博覧会

蒸気機関車D51(九州鉄道記念館)
写真:九州鉄道記念館ホームページより引用
http://www.k-rhm.jp/
そもそも西日本鉄道(愛称:にしてつ)の前身「九州鉄道」は、九州電燈鉄道(のちの福博電車)が大正4年(1915年)に筑紫電気鉄道が設立され、福岡市と二日市市(現・筑紫野市)間で大宰府天満宮への参拝者輸送目的がスタートとなります。
・大正13年(1924年)、西鉄大牟田線前身が一部開通(昭和14年全線開通)し、また昭和2年「東亜勧業博覧会」、昭和11年「博多築港記念大博覧会」の開催等により、福岡は九州の中心都市として、益々発展していきました。
現在の大濠公園は「東亜勧業博覧会」を機に造園されています。
☆福岡大空襲

玉屋デパートから東北を望む(毎日新聞社撮影)
写真:総務省トップ、 政策、一般戦災死没者の追悼、国内各都市の戦災の状況、福岡市における戦災の状況(福岡県)より引用
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kyushu_01.html
太平洋戦争末期、昭和20年(1945年)6月19日の米軍のB29による福岡大空襲で、福岡・博多の街は焼夷弾により火の海となり、1万2千戸が焼け、千数百人の犠牲者が出たと言われています。
B29による爆撃は、福岡市の工場、港湾、鉄道などを目標として、午後11時頃~翌20日の午前11時ごろまで続き、市の繁華街をはじめ、主要な地域が焼け野原となり、豊臣秀吉が再興した博多の町の風情も、黒田長政築城以来の福岡の町並みもほとんど壊滅しました。
☆福岡の戦後復興と西鉄ライオンズの誕生
福岡の戦後復興は、市街地の清掃と上下水道の復旧から始まりました「昭和21年(1946年1月、復興部を新設して復興計画の基幹となる土地区画整理区域や都市計画街路などを決定)」。その後福岡市の市勢は、戦後の混乱と占領下にもかかわらず順調に回復していきます。
終戦の翌年・昭和21年(1946年)には、新天町商店街誕生。その後路面電車が走る幹線沿いにビル建設が相次いでいます「昭和27年(1952年)渡辺通の電気ビルを皮切りに、博多大丸、日本ビル、天神ビル、福岡ビルなど」。
戦後間もない昭和26年(1951年)、九州唯一の地元球団「西鉄ライオンズ」が誕生しました。
昭和31年(1956年)、セリーグ王者・巨人軍に3連敗後、奇跡の4連勝で日本シリーズを制し、以後3年連続日本シリーズに優勝する快挙を成し遂げた時は、福岡市民は平和台球場で熱狂しました(神様・仏様・稲尾様の格言が生まれる)。

稲尾和久氏(神様・仏様・稲尾様)
写真:埼玉西部ライオンズホームページ、ヒストリー、栄光の歴史、伝説の西鉄ライオンズ、1959~63年戦国時代より引用
http://www.seibulions.jp/expansion/history/lions_classic/34_38.php

1956年日本シリーズ制覇
豊田泰光氏、三原脩氏とともに祝杯を挙げる
写真:ウィキペディア、フリー百科事典より引用
https://ja.wikipedia.org/wiki稲尾和久
☆政令指定都市・福岡の誕生
昭和47年(1972年)4月、福岡市は政令都市として指定をうけ、中央区・南区・博多区・西区・東区の5区制で発足しました。その後、西区はさらに早良区・城南区・西区と分かれます。
当時北九州市「政令指定都市」(鉄の町)が鉄冷えで景気が悪くなっていく中、福岡市は商業都市として発展していきました。
☆新幹線の開通

新幹線0系
写真:ウィキペディア、フリー百科事典、新幹線0系電車より引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/新幹線0系電車
山陽新幹線が昭和50年(1975年)、博多まで開通。
これにより、東京までの時間は約7時間となりましたが、九州管内は、トンネルが多く景色(車窓)が思ったほど楽しめませんでした。
当時は「ひかり」と「こだま」。現在は「のぞみ」の運行で、東京まで最速4時間52分に短縮されています。
☆天神地下街のオープン

写真:ウィキペディア、フリー百科事典、天神地下街より引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/天神地下街
天神地下街が昭和51年(1976年)、地下鉄開業を前にオープン。開業当初はテナント料も高く、入れ替わりが多かったようです。
地下街は岩田屋、ショッパーズ・ダイエー、天神コアビル、松屋レディスなどと連絡しています。
☆市内電車の廃止と地下鉄開業

花電車「開通当時のチンチン電車」城西橋 1975(昭和50)年11月 所蔵:西日本鉄道(株)
写真:にしてつWebミュージアム、歴代花電車・花自動車アーカイブス、花電車の歴史、1975年(昭和50年)より引用
http://www.nishitetsu.co.jp/museum/decostreetcar/05.html
福岡市民の移動の足を担ってきた西鉄の電車も昭和54年(1979年)、地下鉄開業を前に姿を消しました。
どんたくの時には「花電車」として、福博の夜の街を鮮やかに彩っていました。

福岡国際センター(各種イベント、大相撲九州場所会場)
写真:提供 福岡市
福岡市営地下鉄の室見と天神間が、昭和56年(1981年)部分開通。
また、この年は福岡県新庁舎が落成し、福岡国際センターも完成しました。
博多駅から姪浜までの地下鉄1号線が昭和58年(1983年)、開業しました。平成5年(1993年)には博多駅から福岡空港間が開業。
この年、皇太子殿下がご成婚されています。
☆アジア太平洋博覧会(よかトピア)

福岡タワー(博覧会のシンボルとして建設)
写真:提供 福岡市
平成元年(1989年)、福岡市 市政100周年記念行事として開催された「アジア太平洋博覧会-福岡'89(通称:よかトピア)は、海に開かれたアジアの交流拠点都市のスローガンのもと、
○海外から37カ国、地域、2国際機関、国内1,050余の企業・団体が参加
○日本全国、79カ国・地域から820万人超の入場者を迎え、大成功をおさめました。
(出典):公益法人 福岡よかトピア国際交流財団、ホームページ、よかトピアとは、より引用
その後も、このイベントの遺産としてアジアとの交流は様々なかたちで今も続いています。
☆福岡市、未来へ向かって
人口約150万人。古代よりアジアの窓口ある福岡(博多)は、アジア諸国からも注目を浴び、観光客も増加傾向にあります。
また、アジアのベストシティにも選ばれたこともあり、東京などの影響を受けながら、博多独自の文化を保ち発展・成長を続けています。
福岡市は
市の将来の姿として「
福岡市基本構想・第9次福岡市基本計画」を策定し、この構想に基づいてまちづくりを進めています。
活力ある都市福岡は、ますます発展をしていくことでしょう。

大濠公園の夜桜
写真:提供 福岡市

天神ビルから渡辺通りを望む
写真:提供 福岡市
PICK UP 福岡のお店 ~グルメ~

八福神(はちふくじん)
福岡市中央区渡辺通2-2-14
[ 居酒屋(串焼き・刺身、海鮮料理、コース料理) ]
安い・旨い! ★厳選食材と炉端焼き居酒屋★

童童(ワラベ)
福岡市中央区渡辺通2-3-33
[ 焼きそば/鉄板焼き居酒屋 ]
お昼は本格広島風細麺焼きそば! 夜は鉄板焼き居酒屋!

丸玉 博多店
福岡市博多区綱場町5-19 テイクビル1階
[ お好み焼き屋/鉄板焼き屋 ]
創業20年以上! こだわりのお好み焼きが博多に新登場!!

串カツ 博多空気椅子酒場
福岡市中央区渡辺通4-1-20
[ 串焼き・串カツ・刺身・和食・ランチ ]
多種多様の串カツ・博多和牛もつ串が大人気のお店!

炭火焼鳥 しまじろう
福岡市中央区高砂2-9-15 譲英ビル1階
[ 居酒屋/焼鳥 ]
ボリューム満点 家族づれでも楽しめるお店! 本格備長炭 炭火焼き

よかたい総本店
福岡市博多区博多駅中央街6-11 内田ビル1階
[ 立ち呑み・居酒屋ダイニング(海鮮、和風、コース料理/ランチ) ]
お得なイベントに注目! 博多駅そばの“おいしい&楽しい”居酒屋